〔072〕能勢妙見山 (660m)

兵庫県川西市黒川

2015年02月03



兵庫100山
関西百名山』 登山道を変えると山の印象が良くなった。 
Road Map :阪神高速池田線 池田木部ICで下りてR477を北上する。
コースタイム:2時間11分
登り:1時間07分
(大堂越コースから)
下り:56分
(新滝道コースにて)
    標高差:427m
累積標高差:609m
”大堂越コース”から登り、 ”新滝道コース”で下山する。
能勢妙見山
  2度と来ないぞ!と思いながら3回目となってしまった。 後、初谷渓谷コース、天台山コースが残っており、4回目、5回目があるかも知れない。
以前はR477沿いの空き地に車を停めたが、その空き地がなくなっており、仕方なくケーブル駅の有料駐車場(\500)に車を停める。
妙見ケーブルはこの時期運休だった。 ケーブルには乗る気がないので
関係無いが、もしかして駐車料金は要らないかも知れないと思った。
結果、駐車料金は要らずラッキーであった。
駅に掲示されていた運休表。
10時07分に妙見ケーブル黒川駅の左側の道から歩き始める。
民家の前を進み少し歩くと小さな沢を渡渉する。
雨水路が大きくなってハイキングコースと間違えるハイカーが多いのか、しっかりと道標が掲示されていた。
昔は林道だった様な広い道を進んで行く。
まだ沢沿いの道であるが、この辺りで沢水はなく
なっている。 登り勾配は終始穏やかであった。
割れ口が鋭い岩が点在した沢道を進む。 沢水は少ない。
28分にて ”大堂越”の峠に着く。 ここは四方に道が伸びており、
しっかりと確認して ”妙見山”方向に曲がる。
沢から離れ、なおも穏やかに登って行く。
前方の鞍部は ”大堂越”の峠の様だ。
樹林帯の中を極小さくジグを切って登って行く。
”大堂越”からは少しきつい登りになり、
積雪も少し出て来るが歩く分には問題無しだった。
44分にて車道に出る。 横には動物霊園、右に曲がればリフト乗場の
”ふれあい広場駅”へ下りる道となる。墓地の横を通り真っ直ぐに進む。
尾根の肩に出て、しばしフラットな道となる。
道路途中から運行していないリフトと遠く大阪湾を見る。
道路は積雪で凍て付いていた。
リフトの ”妙見山頂駅”の横を通る。
下山予定道の ”新滝道”の分岐に着く。 まずは山頂に向う。
鳥居を抜けて参道に入って行く。
山頂に建つ ”彰忠碑”が見えて来た。
参道途中に ”三角点”への分岐がある。 ここには何故か
山頂への道標ではなく ”三角点”への道標しかない。
1時間07分にて ”妙見山”(660m)の三角点に着く。
三角点の表示板は倒れており自分で立て直した。
以前あった私設の登頂記念プレートは全て撤去されていた。
ここが ”妙見山”の山頂であり ”彰忠碑”の後に三角点が
あるのだが ”妙見山”としての表示は一切無かった。
デザイン的には優れていると思う ”星嶺”に行ってみる。 と言うより山頂の直
ぐ横にこれがある。 デザイン的には優れているが建物としてみれば容積に比べ
表面積がやたら広くムダだらけの建物である。今日は館内に入室は出来なかった。
山頂まで来た序でに ”妙見山本殿”を散策する。
山門を抜けて階段を下ると ”本殿”となる。
”星嶺”の展望デッキから景色を眺めるが、
大阪湾、六甲山共に遠くて、曇り空で見るべき展望ではなかった。
これが ”本殿”と思っていたが、寺務所らしい。
ならば ”本殿”はどこ?
この小さい建物が ”妙見山本殿”らしい。 本殿であり”開運殿”との
名称が付いているらしい。 中から読経が聞こえていた。
”新滝道コース”より下山に入る。
山上の駐車場に寄ってみる。 妙見山2回目はここから登っている。
山頂までたった6分だったので登ると言う程のものではなかったが。
地道になって一安心、しかも雪は消えていた。
路面はコンクリートの簡易舗装なので、そこに雪が乗ると滑り易くヤバイ状態になっていた。 スリップしない様に恐る恐る下る。
斜面が急になると階段道なる。
スリップの心配が無くなった。
終始、沢沿いの道が続く。
砂防堰堤が出て来るが沢水は伏流水となって堰堤の下を流れている様だ。
沢は大きくなり沢水も増えて来た。
新緑の時期に歩いてみたい道だ。
更に少し下ると ”新滝稲荷神社”に着く。
ここも行場は目隠しされており味気なかった。
下山41分にて ”雄滝行場”に着く。
行場自体はトタンで目隠しされていた。
下山56分にてケーブル黒川駅に戻り、 ”妙見山”を終了する。
今日は一日中曇り空の残念な天気だった。
後は舗装された道を下って行く。
隣接の民家?は殆んどが廃屋となっていた。
のせみょうけんさん
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滝の下部は目隠しされていたので、滝全体を見ることが出来なかった。
この目隠しの中で滝行が行われる様だった。